須佐の七不思議

其の1 塩井(しおのい)

塩井(しおのい)

神社の門を入って右側の小池は塩水が湧いており、須佐之男命(スサノオノミコト)がこれを汲み、土地を清めたという。また、出雲大社に近い「稲佐の浜」とつながっており、湧出に間渇があるのは日本海の塩の満干と関係があるという。

其の2 落葉槇(おちばのまき)

落葉槇(おちばのまき)

須佐之男命の妃神である稲田姫が、神社近くの誕生山でお産をなさった時、産具を槇(柏)葉に包み、松葉で綴って流瀬川(現在の原田川)に流された。それが流れ着いた所に「槇と松」が生え、現在に至る。今でも槇葉の縁に松葉で刺したような穴がある。

また須佐神社のご神紋「蔓柏(つるかしわ)」はこの云われに由来して定められたもので、蔓は松葉を紋様化したものである。

其の3 影無桜(かげなしざくら)

影無桜(かげなしざくら)

その昔、隠岐国で耕田が稔らず不作が続いたとき、知々井(海士町知々井)に住む男に夢想があり「須佐大宮の境内の大きな桜が繁茂して、それが隠岐へ影をさすために耕作ができぬから、須佐の国造に頼んでその桜を切ればよい。」ということだった。そこで桜を切ったところ、以前のように豊かな稔りが続くようになった。天照社北東の水田の中にあり、その切り株から生えた桜は以後大きく茂ることなく、また枯れることなく現在に至る。

其の4 星滑(ほしなめら)

星滑(ほしなめら)

神社の西方、中山の頂上近くで岩石が露出して谷のようになっている所に、白い斑点(なめ)がある。これは星が光るのだと云われ、光沢があって大きく見える年は豊作、光沢が無く小さく見える年は不作だという。

其の5 雨壷(あまつぼ)

雨壷(あまつぼ)

神社の西を流れる素鵝川に沿って約一粁下流の田んぼの脇に大きな岩があり、その岩の中に径二尺(約60cm)余りの穴がある。この穴をかき回すと須佐大神の怒りにふれて大洪水があり、犯したものの家には不吉な事があるという。その昔、これを犯したため翌日暴風雨となり、村中が大きな被害を被ったため村人の怒りをかってしまい、村から追放された者がいたという事実もある。

其の6 相生松(あいおいのまつ)

相生の松(あいおいのまつ)

神社本殿の裏に、一本で男松と女松の両肌を持ったものがあった。昭和の初め頃に枯れてしまったので伐採され、今は跡を残すのみ。

其の7 神馬(しんめ)

神馬(しんめ)

その昔、藩主や有力な武将が神社へ馬を奉献していた。奉献された馬はどんな毛色の馬でも後に白馬に変わり、世の吉凶やめでたいこと、災い、国の大事など種々の異状を予知したという。常立(とこたち)の馬と呼ばれていたが今は無く、神社裏の川の畔に墓が作られている。

須佐神社の祭

風土記に登場する須佐の地域は、神社を中心に須佐地区、東山手に朝原地区、南山手に原田地区と3つの集落があり、地域ごとに神社があり、各々祭があります。 その中で須佐神社の春夏秋冬の祭は昔から変らず、過疎になりつつある須佐の現在でも、約300戸の地域の人々が、神事にともなう祭の継承を続けています。

神社の在り方を守り伝えていく姿勢が昔と変わらない風土を今に残す、現在では珍しい地域だと思います。 普段は静かな神社の境内ですが、神事と祭は人々にとって、ひとつの共同体の柱となって、厳かに、かつ、活気に満ちます。 「伝統ある神事と祭」、参拝される方への地元のおもてなしを、ぜひ一度ご覧になってください。

» 須佐神社ホームページ

春 例大祭

4月18日 朝覲祭

祭〜春

年に一度スサノオが天照大神に逢いに行かれるという御幸行列
お茶席で神紋菓子と抹茶が振舞われる。

4月19日

陵王の舞 修理国成 耕田播壇の舞。1段~5段からなり、神々の降臨から豊作祈願、悪魔払いを意味する、神職による、金色の衣装、雅楽、納曽利面の古面を用いた優美な舞である。

百手神事 悪魔退散・五穀豊穣を祈る神事。神職による鳴弦の儀のあと、空に「的」を描き、矢を射る秘呪を行い、実的に甲矢乙矢(はやおとや)を放つ。

夏

8月15日 切明神事

祭〜夏

念佛踊り(島根県無形民族文化財)
神事花に神を迎え、念佛を唱えながら踊る、
豊作を祈る神事。
お茶席で神紋菓子と抹茶が振舞われる。

» 2012年 夏祭りレポート

秋

11月23日 新嘗祭

祭〜秋

五穀の豊穣を祝い、地元有志で大根鍋が振舞われる。
須佐の七不思議を探訪しながらの、5km~10kmを歩く「スサノオウォーク」が開催される。

冬

2月3日 節分祭

祭〜冬

蘇民将来の古事にならって「茅の輪」が授けられる。
境内では、一年の無病息災を願い、福餅と福豆がまかれる。